長崎県諫早市の老舗菓子舗として創業から伝わる伝統を守り続けながら、
次の伝統に向け商品開発・販路開拓にもたゆまない努力を続けていきます。

創業寛政五年(西暦1793年)創業
現代表の森 淳(もり あつし)は7代目となります。
諫早は江戸時代から諫早湾の干拓事業が盛んで余剰米があり、また、諫早は長崎の出島から砂糖を運んだといわれるシュガーロード(長崎街道)の宿場町であったため、「米」と「砂糖」が出合い、森長おこし(諫早おこし)が生まれました。
おこしはシュガーロードを通って広く伝えられ、瞬く間に地元だけでなく県外のみなさまにも愛されるようになりました。
創業以来、おこしを初めとした和菓子の販売が中心でしたが、長崎というご縁で、先代6代目の時代、昭和49年から長崎カステラの製造販売を開始いたしました。
近年ではカステラ派生商品の開発販売にも力を入れており、2009年11月に発売開始した「半熟生カステラ」シリーズは、累計で35万個の販売実績、2014年より海外展開も開始、半熟生カステラは海外でも高い評価を得ています。

7代目当主の森 淳(もり あつし)と申します。
御世代わりの今年(令和元年)、早いもので社長職12年目を迎えました。

思い起こせば、激動の時代でもありました。
「今度の生はカステラです。」に始まり、ふわとろブームを先駆けた「半熟生カステラ」。
「キュートなフォルムが目印です。」
パッケージにこだわった「カステラざんまい」シリーズ。
バリスタに監修して頂き、本物を追い求めた「出島珈琲カステラ」。
「地味から派手へ」ポッピーなパッケージが特徴の「ぷちおこしー」シリーズ。
国内だけでなく、韓国を皮切りに始まったカステラの輸出。
パートナーが決まった時は飛び上がるほど嬉しかった、タイへの輸出。
みんなのサポートで何とか取得できた「地域資源」活用認証などなど。
数えればキリはありませんが、走馬灯のように脳裏に蘇ります。

故市川森一原作「親戚たち」に登場する町こそ、我が故郷諫早です。
その諫早の文化を伝えるべく、これまで226年間お菓子を作り続けて参りました。
老舗でありながら常にチャレンジし続けることをミッションとし、これからも皆さまにおいしさを届けて参ります。
今後もどうかご愛顧頂きますよう申し上げ、挨拶に代えさせて頂きます。
ありがとうございます。 

2009年11月12日は私にとって一生忘れることができない一日です。
当時6代目の後を継いで1年、社長という大役を任された私は何かをせねばという責任感でいっぱいでした。
森長の歴史においていままで取り組んだことがないものということで就任当初からインターネットへの取り組みをはじめ、それが何とか形になっている矢先、世間では「生」ブームが起こっていました。
その時社内から森長でも「生」を標榜できる商品があるという声が上がったのです。
それは2001(平成13)年9月、長崎駅ビル「アミュプラザ長崎」に出店した折に、新商品として発売した「生焼けポン・ド・ロー」。
ポルトガルの庶民菓子、カステラの原型と言われるものです。
日産50個で、ほぼ毎日完売して評判も良いアイテムでしたが、味の人気が高いけれども消費期限の問題でなかなか定番化できなかった商品、これをさらにおいしくアレンジし商品は完成。
消費期限の問題は冷凍保存でカバー
ネーミングも心機一転「とろける生カステラ」にし、構想から約2か月で発売しました。

私が代表になってから起こった2度目の大チャンスの話です。
2012年夏のある日、取引先であり、懇意にして頂いている株式会社昭和堂永江社長が来社しある商品を持ってこられました。
その商品とは、見た目がカステラそのまま、カステラを立体スキャンして本物の質感を出したものでした。
その当時は面白いと思ったものの、社内からは否定的な意見も出て案件として進めるかどうかを悩んでいました。
そんな矢先、先代6代目の一言「これ、おもしろかな」で背中を押され私の心は発売へと向くことになりました。
あとは仕様とネーミング、ここは商品開発部門の案で、世の中に当時なかった「三枚カット」。
名前はデザインがカステラそのものであることと、名は体を表すということで、三枚(さんまい)からヒントを得て「カステラざんまい」としました。
今回もどれくらい売れるかという予測もつかなかったもののふたを開けてみれば2012年11月の発売以来、定番(ハニー)は間もなく100万個を突破する勢いです。
周りとのご縁にも感謝ですし、パッケージ一つでこれほど売れ方が変わるということを改めて気づかせてもらった出来事でした。

きっかけは国内市場の伸びの不透明感が始まりでした。
当時長崎県がアジア地域への輸出に力を入れ始めている時、可能性があるかどうかもわからない中まずは調査を実施。
その後地道な努力を重ね2014年には海外タイで初の催事販売を実施、香港などからもお声がけいただき少しずつ進んでいっていたある日、国内の代理店から過去に体験したことが無い規模の問合せがありました。
その数なんと1万本、20フィートコンテナがすべてカステラという驚くべき数量で韓国への輸出開始。
それからというもの各所からお問合せをいただき気が付けば9か国11地域にまで輸出実績を作ることができたのです。
しかし、世の中は甘くなく、その後EUの法的規制の発動や、契約での問題、香港でのビザの問題などここ2年はかなり規模を縮小することになりました。
2019年からは再スタートということで当社海外事業を委託している株式会社わかたむを中心にタイ国のみにターゲットを絞り、タイに3000社あるといわれている日本食レストランへの業務販売での営業を実施。少しずつ結果が出てきています。
言語のいらないカステラで世界に日本文化を広めていく、この思いは変わることなく今後も続いていきます。

長崎県の中央部(県央)に位置する諫早市は東に有明海、西に大村湾、南に橘湾と特性の異なる3つの海と多良山系の山々、広大な干拓地や肥沃な丘陵地帯が広がる自然豊かな町です。
また、長崎を出発点とする長崎街道は別名をシュガーロードと呼ばれ、長崎出島に陸揚げされた砂糖がこの街道を通って、大阪や江戸まで運ばれました。
街道沿いには地域の産品(砂糖を使ったお菓子)が普及し、穀倉地帯が広がる諫早はお米を使ったおこしが代表産物となりました。
226年前に初代龍吉(りゅうきち)が初めて「おこし」を作った時の心情を思い起こしますと諫早を訪れる人々へ、その土地の「匂い」や「色」或いは「風」といったものを干拓地で作られたお米(おこし)に吹き込み、諫早という自然と風土を感じるような商品の提供を使命として、事を始めたのであろうと。
それは時代を経て、令和に入っても同じです。地元諫早を常に意識しながら、
「我々は走り続けます、無限に広がる美味しさの領域に。
 我々は送り届けます、美味しいという名の真心を。」

2009年11月12日は私にとって一生忘れることができない一日です。
当時6代目の後を継いで1年、社長という大役を任された私は何かをせねばという責任感でいっぱいでした。
森長の歴史においていままで取り組んだことがないものということで就任当初からインターネットへの取り組みをはじめ、それが何とか形になっている矢先、世間では「生」ブームが起こっていました。
その時社内から森長でも「生」を標榜できる商品があるという声が上がったのです。
それは2001(平成13)年9月、長崎駅ビル「アミュプラザ長崎」に出店した折に、新商品として発売した「生焼けポン・ド・ロー」。
ポルトガルの庶民菓子、カステラの原型と言われるものです。
日産50個で、ほぼ毎日完売して評判も良いアイテムでしたが、味の人気が高いけれども消費期限の問題でなかなか定番化できなかった商品、これをさらにおいしくアレンジし商品は完成。
消費期限の問題は冷凍保存でカバー
ネーミングも心機一転「とろける生カステラ」にし、構想から約2か月で発売しました。

私が代表になってから起こった2度目の大チャンスの話です。
2012年夏のある日、取引先であり、懇意にして頂いている株式会社昭和堂永江社長が来社しある商品を持ってこられました。
その商品とは、見た目がカステラそのまま、カステラを立体スキャンして本物の質感を出したものでした。
その当時は面白いと思ったものの、社内からは否定的な意見も出て案件として進めるかどうかを悩んでいました。
そんな矢先、先代6代目の一言「これ、おもしろかな」で背中を押され私の心は発売へと向くことになりました。
あとは仕様とネーミング、ここは商品開発部門の案で、世の中に当時なかった「三枚カット」。
名前はデザインがカステラそのものであることと、名は体を表すということで、三枚(さんまい)からヒントを得て「カステラざんまい」としました。
今回もどれくらい売れるかという予測もつかなかったもののふたを開けてみれば2012年11月の発売以来、定番(ハニー)は間もなく100万個を突破する勢いです。
周りとのご縁にも感謝ですし、パッケージ一つでこれほど売れ方が変わるということを改めて気づかせてもらった出来事でした。

きっかけは国内市場の伸びの不透明感が始まりでした。
当時長崎県がアジア地域への輸出に力を入れ始めている時、可能性があるかどうかもわからない中まずは調査を実施。
その後地道な努力を重ね2014年には海外タイで初の催事販売を実施、香港などからもお声がけいただき少しずつ進んで言っていたある日、国内の代理店から過去に体験したことが無い規模の問合せがありました。
その数なんと1万本、20フィートコンテナがすべてカステラという驚くべき数量で韓国への輸出開始。
それからというもの各所からお問合せをいただき気が付けば9か国11地域にまで輸出実績を作ることができたのです。
しかし、世の中は甘くなく、その後EUの法的規制の発動や、契約での問題、香港でのビザの問題などここ2年はかなり規模を縮小することになりました。
2019年からは再スタートということで当社海外事業を委託している株式会社わかたむを中心にタイ国のみにターゲットを絞り、タイに3000社あるといわれている日本食レストランへの業務販売での営業を実施。少しずつ結果が出てきています。
言語のいらないカステラで世界に日本文化を広めていく、この思いは変わることなく今後も続いていきます。

長崎県の中央部(県央)に位置する諫早市は東に有明海、西に大村湾、南に橘湾と特性の異なる3つの海と多良山系の山々、広大な干拓地や肥沃な丘陵地帯が広がる自然豊かな町です。
また、長崎を出発点とする長崎街道は別名をシュガーロードと呼ばれ、長崎出島に陸揚げされた砂糖がこの街道を通って、大阪や江戸まで運ばれました。
街道沿いには地域の産品(砂糖を使ったお菓子)が普及し、穀倉地帯が広がる諫早はお米を使ったおこしが代表産物となりました。
226年前に初代龍吉(りゅうきち)が初めて「おこし」を作った時の心情を思い起こしますと諫早を訪れる人々へ、その土地の「匂い」や「色」或いは「風」といったものを干拓地で作られたお米(おこし)に吹き込み、諫早という自然と風土を感じるような商品の提供を使命として、事を始めたのであろうと。
それは時代を経て、令和に入っても同じです。地元諫早を常に意識しながら、
「我々は走り続けます、無限に広がる美味しさの領域に。
 我々は送り届けます、美味しいという名の真心を。」